奨学生の声

<strong>上原さら</strong><br /> 留学先大学:Pomona College (カリフォルニア州)<br /> 2022年卒業<br /> 専攻:音楽専攻(経済学副専攻)<br /> 出身高校:東京学芸大学附属国際中等教育学校 上原さら
留学先大学:Pomona College (カリフォルニア州)
2022年卒業
専攻:音楽専攻(経済学副専攻)
出身高校:東京学芸大学附属国際中等教育学校

2022年5月、南カリフォルニアらしい眩しい日差しが注いだ日に、私はポモナ大学を卒業した。コロナ禍が明け、復学が許可されて初めての卒業生となった。その秋、私は西海岸から東海岸へと渡り、ニューヨークのコロンビア大学の教育大学院(Teachers College)で新たな学生生活を始めた。大学院ならではの素晴らしさを経験すると同時に、私はリベラルアーツ大学の魅力を再確認した。

「小規模」とは?

ポモナ大学は、リベラルアーツ大学特有のキャンパス全体が一つのコミュニティであるという要素も満たしているが、敷地内に他の4つのリベラルアーツ大学(Claremont Consortium)と隣接していることがユニークである。他の大学の授業をとったり食堂に行ったりすることが日常的であるため、ポモナ外での交流もできるという、リベラルアーツ大学でありながら総合大学並みのキャンパスの大きさとコミュニティの広がりも経験できるのが特徴だ。しかし、やはり普段出会う人たちはみんな同じ学部生ということもあり、皆が同じような境遇と環境で勉強している、という印象だった。

一方、大学院では、学部や研究室ごとにコミュニティが分かれており、より多様な留学生や、研究内容、ライフステージ(子連れで卒業式に出る人も)の人たちが各方面から集まっている。また、キャンパス外に住む学生やフルタイムで働いている人も多いため、リベラルアーツ大学の完全寮生活のような密な交流は少ない。様々な人がいる一方で、一度会っても次また会う機会が限られているという印象を受けた。

ポモナでは、コミュニティが小さかったせいか、いつもおせっかいな友達が周りにいたおかげか、何かあったらすぐに友達が駆けつけてくれる、お互いを助け合う精神が存在していた。逆に一人で抱え込もうと隠してもすぐに周りの人にバレてしまうので、あまり自分一人で悩んだりすることができない環境だった。大学院では、自分の問題は自分で解決するといった雰囲気があるため、ある意味孤独感もあったが、それが心地良い時もあった。もしかすると、ニューヨークという場所も関係しているのかもしれない。

「学際的な学び」とは?

リベラルアーツ大学の環境では、学際的な学びが重視されており、幅広い分野に触れることができた。常に多角的な方面から学びがあり、情報過多になるほどだった。当たり前かもしれないが、大学院では自分の興味や研究に集中する環境が整っている。その反面、他分野の学びや視点を得る機会は少なくなるし、同じ分野で研究をしている人が多い。改めて、周りの人皆が様々な専門分野を持ち、お互いの研究テーマに興味津々だったポモナの環境が恋しくなった。 

「親身な教授たち」とは?

高校時代、先輩方から「リベラルアーツ大学では、教授と学生の距離が近く、教授は親身に学生に寄り添ってくださる」などの話はたくさん聞いていたが、それが具体的にどういうことなのか、実際に行ってみるまで分からなかった。

ポモナに進学し、まずは1年生が必修で取らなくてはならない学際的な学びを重視した1年生向けのセミナーとして、数学の教授が教える「数学とアート」という授業を取った。まだ1年生の私はいろいろなことが不安で、何かと質問をするために教授の研究室に通った。ある日、何気なく口にした私の一言が教授との距離を縮めるきっかけとなった。「一般的には、芸術が数学と絡めて説明されることが多いーー例えば、左右対称なものや、完璧な円が美しい、など。しかし、不完全や非対称を美しいとする芸術も存在するのではないか、例えば日本などでは和室における美や、いけばなにおけるアンバランスでの美がある、、、」と話したところ、教授は深い興味を持ってくださり、それについてエッセイを書いてみてほしい、と言ってくださった。そして、私は対称性や完全を重視した西洋の美学と、自然界の不完全性や儚さを価値とする日本の美意識「わび・さび」を対比させるエッセイを執筆した。1年生の私が書いた稚拙なエッセイを教授はとても気に入ってくださり、私が3年生になった時(ちょうどコロナ禍で日本に帰っていた時)に、「これをもとに一緒に学術論文を書かないか」と言ってくださり、そして論文を共同執筆した。

ここまで教授が常に学生一人一人に目を配ってくれるのは、大きな大学では経験できない、リベラルアーツ大学ならではの素晴らしさだと思う。ポモナでの教授との交流を振り返った時、改めて貴重な経験をさせていただいたと感じる。 


「密なコミュニティ」とは?

リベラルアーツ大学は規模が小さいので、顔見知りの人が多い。話したことがなくとも道端でよく見かける人、と言った感じで、まるでご近所さんのようにお互いに面識を持っている。そして、その人は実は私の親友の親友、なんてこともよくある。よって、どんどん友達の輪が広がっていくものである。 音楽専攻に進んだ私は、気が付けばポモナの音楽学部コミュニティに中心的に関わるようになり、同時に、教授とのコミュニケーションもより緊密になった。

コロナが落ち着きキャンパスに戻れた4年生の時、お世話になっていた教授から急に、「新たに迎える教授を選抜する選考委員会に学生代表として参加してくれないか」と言われた。今から思えば、時間をかけて他の学生や教授との信頼関係が築かれていたからこその依頼だったのかもしれない。それから卒業するまでの間、教授に付いて回り様々な候補の方たちと対話し、一人一人の書いた応募書類をもとに教授たちと議論した。「私たちの大学、及び音楽学部にとって理想的な教授像は何か」学生の立場から意見を述べ、議論を繰り返した。現教授、教授候補同士のインタビューなどを通した選考に加え、学生・教授候補が交流できる機会も設けられた。後ほど教授候補の方々を評価した際に、学生たちと現教授たちとの意見には相違があり、一時はかなり学生たちの意見が先行して、教授学生関係に亀裂が入りそうな事態に発展してしまった。しかし、学生たちの意見を代弁し教授と熱い議論を繰り返したところ、最終的には「やはり学生の意見が一番重要だ」とのことで、教授陣は深い理解を示してくださり、学生側に好評を得た教授が選ばれる結果になった。個人的には、結局は教授の方々も一番学生にとって良い選択は何かを考えてくださり、その姿勢にいち学生ながら感動した。また、改めてリベラルアーツ大学の教授と学生の深い信頼関係とコミュニティの密度の濃さを実感する機会となった。

感謝

6年間でのアメリカでの生活を振り返り、リベラルアーツ大学と総合大学、学部と院を双方経験したが、リベラルアーツ大学でのかけがえのない時間は、何よりも私の大きな軸となっている。 この秋から私は社会人として新たな一歩を踏み出すが、今後立ち止まった時にアメリカでの学びをたびたび振り返ることになるだろう。当時、高校生で何も分からなかった私の背中を押してくださり、多大なるご支援をくださったグルー・バンクロフト基金がなければ今の私はない。コロナ禍において、寮が閉鎖されたことにより帰国を余儀なくされ、時差の中昼夜逆転し、オンライン授業を受けながら孤独と睡魔と戦っていた時にも、グルー・バンクロフト基金の世代を超えたコミュニティや、先輩方からの温かいご助言があったことが大きな支えとなったと改めて感じる。学部を卒業した後も継続して温かいサポートをくださり、無事に卒業することができたことを心から感謝している。

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