基金基本情報

基金のあゆみ

グルー基金が生まれたのは戦後間もない頃でした。親日家で在任期間が10年と長かったジョゼフ・グルー大使は、1932年就任以来、日米開戦を回避しようと尽力し、最後まで日本政府と交渉を続けました。帰国後、グルー大使は在日中に書いていた日記をもとに「滞日十年」という本を著しました。1948年には日本語版が毎日新聞社より出版され、多くの人々の関心を集め愛読されました。

グルー大使は、この著作の印税をぜひとも日米相互理解のために使いたいと考え、滞日中からの知己で、信頼を寄せていた日米協会会長の樺山愛輔に相談を持ちかけました。若き日にアメリカのリベラルアーツの名門であるアマースト・カレッジに学んだ樺山は、グルー基金と名づけた奨学金制度を設立し、日本の若者にリベラルアーツ教育を受けさせることを提案します。

グルー大使から基金設立のために約400万円の寄付を受けた樺山は、日銀総裁だった一万田尚登に会長を依頼して後援会を1950年12月に設立し、寄付金集めに奔走します。そして吉田茂総理大臣、石川一郎経団連会長など政財界の賛同を得て、当時の金額で6,800万円もの寄付を集めたのです。趣旨に賛同された昭和天皇からは、ご下賜金を賜りました。
1953年8月、高校を卒業したばかりの4人の日本人学生が、第1回グルー基金奨学生として、アメリカのリベラルアーツ・カレッジに留学したのです。以後、グルー基金は毎年奨学生をアメリカに送り出しています。

一方、バンクロフト基金は1924年~25年に駐日大使として在任したエドガー・バンクロフトの遺産を原資としており、1929年より数年間に一度、奨学生をアメリカに送りだしてきました。2006年にグルー基金がバンクロフト基金の財産と奨学金制度を引き継ぎ、名前を「財団法人グルー・バンクロフト基金」と改めて現在に至っています。(2012年より公益財団法人)
2014年4月のオバマ米大統領の訪日の際に発表された日米共同声明で、グルー・バンクロフト基金奨学金は日米の人的交流に不可欠な非政府プログラムの一つとして固有名詞で触れられました。

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募集要項