リベラルアーツで築いた学びの旅
僕は高校時代から気候変動のアクティビズムに東京で関わっていたため、環境問題について科学以外の分野から複合的に学びたい、けどそれだけに絞らず色んな分野を試したい、そんな気持ちで大学1年生の1学期を迎えました。 入学前の夏休みにアドバイザーとしてアサインされた文学の教授であるScott Hessから届いたメールの中で、彼が環境についてカルチャーや哲学、思想といった観点から人間と自然の関係性を考察する環境人文学という分野の専門だということを知り、「これだ!!!」と興奮したことを鮮明に覚えています。その流れで1学期目に受講した彼が教える「アメリカ文学とエコロジー/American Literature and Ecology」の授業では、西洋的な環境思想や哲学の文献を読み、いかに人間から自然が切り離されているかを知ったり、先住民族の自然観に関する文献を読みながらアニミズム的な思想に近いことなどを学びました。その中で環境危機の根底には自然破壊を肯定した文化があったことを学び、これこそ自分が考えたいテーマだと直感しました。授業自体は毎週文学作品を1冊は読破することに加え(7週で8冊読んでいました)、毎授業ごとに数十~百ページほどのリーディングがあり、入学後初めての授業で「これがアメリカの大学の洗礼か、、」と感じていましたが、大学の中でもその授業が特に課題が多いことで評判だったと後で知り、その後の学期では課題量が少なく感じるというラッキーもありました。
もう一つ印象に残っている授業は、上記の環境人文学を受けた後の次の学期に受けた平和学入門の授業「Global Dynamics and World Peace」です。正直なところ平和学という学問にはピンときていなかったのですが、なんとなく履修登録したことがきっかけで結果として平和学専攻になっていました。「平和とは、暴力とは何か?」という問いをきっかけとしていかに今日の世界における様々な構造的暴力が起きているのかを辿っていく授業で、自分自身が無意識のうちに持っていた世界に対する見方を疑うことを学びます。特に、環境文学で抱いた「環境危機の根底にある文化とは何か」という問いの答えを考えていた自分としては、いかに植民地主義の歴史の中で世界各地の文化や政治・経済構造までもが形作られ、人種差別/家父長制/環境問題といった問題が根底で繋がっているかということを目の当たりにし、環境人文学の授業に出会ったときと同じくらい面食らったことを覚えています。専攻の必修科目が少なかったこともあり、より平和学について学びたいし、他の分野も自由に取り続けられると思い、1年生が終わる頃には平和学専攻にすることを確信していました。
4年間を振り返ると、学際的な学びができる環境の中で、様々な授業で得た知識の点と点が繋がり、線や面となり、立体となって自分の中で浮かび上がるようなプロセスで、その一瞬一瞬にワクワクし続ける日々でした。そして疑問や分からないことがある度に、そして何か気づきや発見があった時に、自分と同じくらい興奮して一緒に考え、新たな視点を提供してくれる教授たちのおかげで今の自分があります。Earlhamは特に学生人数が少ないため、リーチアウトすれば先生からのサポートを存分に受けることができる環境でした。素晴らしい教授たちと出会い、4年間知的好奇心にまかせて学ぶことができたことが、リベラルアーツに行って何より良かったと自分が思っている点です。
リベラルアーツでの学びが教えてくれたこと
まだ将来やりたいこと、専攻したいことがはっきりと分かっていない。興味がある分野が沢山あって一つに絞れない、そしてとにかく学んでみて色々な学問に触れたいという好奇心に溢れている。あなたがもしそういうふうに感じているとしたら、リベラルアーツの大学はあなたにとってピッタリの場所になると思います。 受験期の自分を思い返すと、やりたいことがはっきりとしない中で、どうにか言語化しなければならないことの苦しさを感じていました。けどその中で一つはっきりとしていたのは、リベラルアーツの環境に行ったら、様々な分野の学びが繋がって複合的な知を得られるんじゃないかという期待とワクワク感でした。 4年間の学びを経て、自分が感じていた期待は正しかったと知りました。僕の場合は、環境危機という高校生の時から考えているテーマについて、平和学・文学・哲学・歴史学・美術史・アフリカンアメリカン研究・経済学といった分野の授業を受ける中で、いかにこの問題が歴史的な植民地主義の中で、文化・政治・経済的にも織り込まれているかということに気づきました。様々な分野での学びを通じて、自らの世界の見方が複雑化、多様化していくプロセスは本当に楽しく、確実に入学した時よりもNerdになっている自分がいました。
受験をするときに志望理由に書く学びたいテーマ通りになる必要はないし、なんならほぼ確実に変わるだろうと分かっているとグルーの方々からも聞いたことがあります。受験のプロセスでは、何かに絞らなければならないというプレッシャーはつきものですが、その時の自分自身が感じている知的好奇心、何に興味があるのかという思いに正直になって、暫定的でも良いのでいま出せる精一杯の答えを出すことを意識すると良いのかなと思います。自分自身、そのプロセスの中でうまく言語化できずに本当に苦しみながら志望理由書を書いていました。もがきながらのプロセスでしたが、溢れてくる好奇心のおかげで乗り切れたなと思います。