留学を目指す方に
私の人生で大きなインパクトを受けたのがハーバード大学に留学したこと、そして楽しかったのがフランスのビジネススクールINSEADにMBA取得のために留学したことです。アメリカ社会が素晴らしいと思うのは、ポジティブシンキング、You can do it の精神です。この考え方を若いうちに身につけ、そしてMake a difference(社会にインパクトを与えろ)と教えられてきて、さまざまなこと挑戦し、できたこともあり、失敗したこともありました。教育は一生の宝といいますが、基金から留学の機会をいただいたことにいつも感謝しております。私が経験したことは、過去 (1981年卒業)のことですので、あまり参考にならないと思いますが、こんな時代もあったのだと思い読んでいただければ幸いです。
人生を変えた留学経験
私は高校卒業後、グルー・バンクロフト基金(グルー基金)奨学生としてハーバード大学に進学することになり、それから約30年間、フランスやイギリス、スイス、ポーランドなど様々な国でキャリアを積んできました。2012年に日本に戻り京都大学の大学院で教鞭を取った後、現在は社外取締役 (三井不動産, 大和証券グループ本社、シミックホールディングス、ヤマハ発動機 社外監査役)と,企業のグローバル人材育成に関わっています
一枚の張り紙がきっかけでハーバードで留学することに
人生の転機となったのは、高校三年生の時です。私は日本で生まれ育ち、クラブや学業に勤しむ普通の学生でした。母親は専業主婦だったので、私が同じように家庭に入ることを想像していたと思います。それが、長い間にわたって海外で仕事をすることになるなど、人生は本当に分かりません。
当時は何となく「国際的な仕事がしたい」と思っていましたが、所詮高校生の考えることですので、かなり漠然としたものでした。そんなある時、職員室の前に掲示されていた1枚の張り紙が目に留まります。それは、「グルー・バンクロフト基金(グルー基金)奨学生」の募集に関するものでした。
私は海外に行ったことはなく、それどころか一度も飛行機に乗ったことがないような状態でした。ハーバードに合格したとはいえ、アメリカでの大学生活を生き残れるような英語力はありませんでした。日本人の留学生もいましたが、彼らは帰国子女だったため私とは状況が異なります。留学開始から最初の1年間は、授業の理解や友人との会話にとても苦労しました。大学の同窓会でかつての級友と話していると、「あなたはよく話をする人なのね」と在学していた時との違いに驚かれました。その頃は英語が壁となって、またハーバードの優秀な学生たちのレベルの高いディスカッションにもついていけず、内向的な人と思われていたようです。ハーバードからも奨学金をもらっていたので優秀な成績を取らなくてはならず、ハーバードの日々は楽しいながらも緊張感がありました。4年間の寮生活では、「あなたはできる(You can do it)」「社会を変化させろ(Make a difference)」というハーバードの理念を叩き込まれたと思います。
帰国後の直面した壁
大学を卒業した後は日本に帰国し、野村総合研究所(野村総研)に入社しました。しかし、当時は男女雇用機会均等法の施行前で、男女差別が歴然と存在していた時代でした。
私は留学していたため就職活動ができず、新卒ではなく中途採用の枠だったのですが、当時、大卒の女性の中途採用を行っている企業は殆どありませんでした。今は違いますが、当時は海外の大学を出たことが日本では評価されず、性別を理由に活躍できるチャンスが与えられない。このままではいけないと痛感し、ビジネススクールへの進学を決めました。周囲に認めてもらい、より魅力的な職場で働く可能性を高めるための切符として、MBAを取得しようと思ったのです。
海外でキャリアを積む
INSEADでの1年間の奮闘の末、無事にMBAを取得することが出来ました。日本では就職したくなかったので、卒業後は、マッキンゼーのパリオフィスに就職することになりました。その後はイギリスの投資銀行であるウォーバーグ銀行を経て、フランスの証券リサーチ専門会社、ポーランドの山一證券の合弁会社、スイスとフランスにある国際機関など、世界各地で仕事をする機会に恵まれました。こうして書くと、いかにも順調にキャリアを築いているように見えますが、実際はそうではありません。組織に翻弄され、前向きな気持ちを失った時期もありました。ご興味のある方は以下のリンクをご覧ください。https://jksk.jp/w100-076/
最初に述べましたが、大学時代に留学をしたことにより、変化とチャレンジに満ちた充実した人生を歩むことができたと思います。ぜひ多くの方に経験してほしいと思います。
Profile
・1977年 筑波大学(旧東京教育大学)付属高校卒業
・1981年 ハーバード大学卒業 (学士)
・1981年 野村総合研究所(東京)研究員
・1985年 INSEAD大学院卒業 (MBA)
・1985年 McKinsey & Co (パリ) 経営コンサルタント
・1986年 SGWarburg, Mercury Asset Management (ロンドン) ファンドマネージャー
・1991年 Detroyat Associates 証券リサーチ会社(パリ) エコノミスト
・1995年 Yamaichi Regent Polska(ワルシャワ)投資担当取締役執行役員
・1998年 国際決済銀行(BIS)(バーゼル)職員年金基金運用責任者、上級ファンドマネージャー
・2004年 経済協力開発機構(OECD) (パリ) 職員年金基金運用責任者
OECD勤務中 国際通貨基金(IMF)の短期外貨資産運用専門家(フィジー中央銀行、ソロモン諸島中央銀行)
・2008 スイスで起業
・2012年 京都大学国際高等教育院(旧京都大学高等教育研究開発推進機構) 教授
・2014年 京都大学大学院総合生存学館(思修館) 教授
・2020年 京都大学名誉教授
現在 三井不動産 社外取締役、 大和証券グループ本社 社外取締役、シミックホールディングス社外取締役、ヤマハ発動機 社外監査役
International Management Forum, Senior Advisor
北海道大学経営協議会委員、グルー・バンクロフト基金評議員