基金の目指すもの

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国際共存への貢献

日米関係は、今日の国際社会の中で極めて重要な2国間関係です。かつては、両国の利害が激しく対立した不幸な時期がありました。その後、日米両国政府をはじめ多くの個人の努力により、確固たる信頼関係を結ぶにいたりました。こうした関係を築くために不可欠な要素は、異文化間の壁を越えて生まれる個人と個人との相互理解です。
過去約60年にわたり、支援を受けた留学生たちは、アメリカでの4年間の大学生活を通じて人間力を養い、グローバルな視野をもってチャレンジする精神を育ててきました。卒業生の多くは、官界、学界、実業界、国際機関、メディアなどの分野で大いに活躍し、日米両国間の信頼構築のため、ひいては国際共存のために貢献してきました。
これからも、今まで培ってきた日米の良好な関係を維持していくために、不断の努力をもってそのような人材を育成していくことが不可欠です。グルー・バンクロフト基金は、そのために重要な役割を果たすべきであると確信しています。

両基金のあゆみ

Joseph C. Grew

グルー基金が生まれたのは、戦後間もない頃でした。親日家で在任期間が10年と長かったジョゼフ・グルー大使は、1932年就任以来、日米開戦を回避しようと尽力し、最後まで日本政府と交渉を続けました。帰国後グルー大使は日本での日記をもとに「滞日十年」という本を著しました。1948年には日本語版が毎日新聞社より出版され、多くの人々の関心を集めました。
グルー大使は、この著作の印税をぜひとも日米相互理解のために使いたいと考え、滞日中からの知己で信頼を寄せていた日米協会会長の樺山愛輔に相談を持ちかけました。若き日にアメリカのリベラルアーツの名門であるアマースト・カレッジに学んだ樺山は、グルー基金と名づけた奨学金制度を設立し、日本の若者にリベラルアーツ教育を受けさせることを提案します。

Ayske Kabayama

グルー大使から基金設立のために約400万円の寄付を受けた樺山は、日銀総裁だった一万田尚登に会長を依頼して後援会を設立し、寄付金集めに奔走します。そして吉田茂総理大臣、石川一郎経団連会長など政財界の賛同を得て、当時の金額で6,800万円もの寄付を集めたのです。
1953年8月、高校を卒業したばかりの4人の日本人学生が、第1回グルー基金奨学生として、アメリカのリベラルアーツ・カレッジに留学しました。その後、グルー基金は毎年奨学生をアメリカに送り出してきました。

Edgar A. Bancroft

一方、バンクロフト基金は1924年~25年に在任したエドガー・バンクロフト大使の遺産を原資としており、1929年より数年間に一度、奨学生をアメリカに送りだしてきました。2006年にはバンクロフト基金は解散、その財産と奨学金制度をグルー基金が引き継ぎ、名前を「財団法人グルー・バンクロフト基金」と改めました。

2014年4月のオバマ米大統領の訪日の際に発表された日米共同声明で、グルー・バンクロフト基金奨学金は日米の人的交流に不可欠な非政府プログラムの一つとして固有名詞で触れられました。

両奨学金の卒業生は総勢120名を超え、各界で活躍しています。OB/OGは強い絆で結ばれており、当基金の運営にも積極的に協力しています。

グルー基金グルー基金

  • 昭和26年時 グルー基金後援会広報より イメージ抜粋(公益財団法人 グルー・バンクロフト基金 蔵)